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東京高等裁判所 昭和37年(行ナ)85号 判決

原告 森本製薬株式会社

被告 救心製薬株式会社

主文

昭和三十四年審判第一五九号事件について、特許庁が昭和三十七年四月三十日にした審決中、指定商品薬剤強心剤に関する部分を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一請求の趣旨

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めると申し立てた。

第二請求の原因

原告代理人は請求の原因として、次のように述べた。

一、被告は、昭和二十九年十月十六日別紙記載のように、「強心」の漢字を楷書体で左横書にし、その下に「Kyoshin」のローマ字を筆記体で併記して構成されている商標(以下本件商標という。)について旧商標法施行規則(大正十年農商務省令第三十六号)第十五条第一類「化学品、薬剤及び医療補助品」を指定商品とし、登録第二四四、五七一号外六件の商標の連合商標として登録を出願し、昭和三十年九月二十一日第四七〇、九八六号としてその登録を受けた。

原告は本件商標の登録は、指定商品中「薬剤」については旧商標法(大正十年法律第九十九号)第一条第二項及び第二条第一項第十一号に違反してなされたものと思料したので、これを理由として、昭和三十四年四月八日被告を被請求人として、本件商標の登録中指定商品「薬剤」について無効審判を請求したところ(昭和三十四年審判第一五九号事件)特許庁は、昭和三十七年四月三十日「登録第四七〇、九八六号商標(本件商標)の登録は、その指定商品中『強心剤』以外の商品薬剤につきこれを無効とする。」としたが、商品『強心剤』についてはこれを認容しない旨の審決をなし、その謄本は同年五月二十三日原告に送達された。

二、審決は、その理由において、「本件登録商標は、『強心』及び筆記体の『Kyoshin』の文字からなるものであるが、その『強心』の文字は、商品『強心剤』について、商品の品質または効能を表示するため、取引上普通に使用されているものであることは、請求人提出にかかる甲第一号証によつてこれを認めることができる。」とし、「そのような文字を有する本件登録商標を、その指定商品中強心剤以外の商品に使用するときは、それがあたかも強心剤であるかの如く商品の誤認を生ずるおそれがあるものといわねばならない。」との理由により、「本件商標の登録は、その指定商品中強心剤以外の薬剤については、旧商標法第二条第一項第十一号の規定に違反したもの」となし、「強心剤以外の薬剤」については、原告の請求を容認したが、「強心剤」の部分については、「しかしながら、本件登録商標は、上に述べた『強心』の文字の外に、筆記体を以て横書した『Kyoshin』なる文字を有するとともに、このような文字が商品薬剤(特に強心剤)について、取引上商品の品質または効能を表示するため普通に使用されている事実は、請求人提出にかかる甲各号証を総合してみても到底これを認め得ないところであるから、主文掲記の商品以外の商品については、本件登録商標が旧商標法第一条にいう特別顕著の要件を具備しないものとして、同法第十六条第一項第一号の規定によりその登録を無効とすることはできない。」としている。

三、しかしながら、右審決が、本件登録商標の指定商品中「強心剤」についての原告の請求を認容しなかつた部分は、次の理由により違法であつて、審決は取り消されるべきものである。

(一)  審決の根本的な誤りは、漢字とそれのローマ字書との二段書からなる本件登録商標の、その漢字の部分とローマ字の部分との両者の間の相関関係ないしは不可分関係を全く無視し、各部分を純粋に別個独立のものとして観察した点にある。

しかしながらこうした構成は、ローマ字の部分は、その漢字の発音表示、換言すれば前者に対する単なる振り仮名的な存在意義を有するに過ぎず、前者と合体して一体一個の観念を表示するものであつて、各自分離独立して二個の観念を表示するものではない。

本件登録商標の場合も、下のローマ字は上の漢字「強心」に従属する振り仮名的の存在として、両者は合体して一個の観念の「強心」すなわち「心臓を強くする」の意味を表わすものであり、従つて本件商標は全体として商品「強心剤」については単なる商品の品質ないしは効能の普通の表示たるに過ぎず、旧商標法第一条第二項にいう特別顕著の要件を欠くものであることは明らかである。

(二)  仮りに下段のローマ字の「Kyoshin」を上段の漢字「強心」と分離して観察すべきものとしても、右ローマ字は依然商品強心剤については、「強心」すなわち「心臓を強くする」の意を表示するものであるから、その特別顕著性は認められない。

商品強心剤そのものに表示した「Kyoshin」の文字を以て、当該薬の品質又は効能の表示と解さなかつた審決の理由は、一般に慣用されているローマ字の表示に対する経験上の法則に違反して、認定し得べき事項を認定しなかつたものである。

第三被告の答弁

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、原告主張の請求原因に対し次のように述べた。

一、原告主張の請求原因一及び二の事実は、これを認める。

二、同三の主張は、これを否認する。

(一)  原告は審決は本件登録商標の漢字部分とローマ字部分を別個独立のものとして観察したところに根本的の誤りがあると主張するが、審決は、両者を分離独立して二個の商標として観察したものでなく、被告も両者は不可分関係を有する一個の商標であると信ずる。両者が不可分一体の商標であるがゆえに、審決も、本件登録商標の態様で、商品強心剤につき取引上商品の品質、または効能を表示するため普通に使用されている事実がない以上、本件登録商標を通用語としては到底認められないといつているのである。けだし審決の趣旨は、商標の一部に普通名称が含まれているからといつて、その部分のみを抽出し、全体を通用語となすを得ないとしたものであつて、両者を別個独立の商標と観察したためではない。

また漢字部分及びローマ字部分よりなる商標は、両者間に必ずしも相関関係があるとは限らず、すなわちローマ字部分は常に漢字部分の振り仮名的存在とは限らないから、観念上両者を分離したからといつて、すべてこれを誤りとすることはできないし、更に本件登録商標と通用語とが仮りに観念上類似であるとしても、その一事のみでその登録を無効にすることはできない。

(二)  次ぎに本件登録商標の特別顕著性に関しては、甲第四、五、六号証に徴しても明らかなように、商品「強心剤」を表示するには「強心剤」と明記され、効能表示には「強心作用」と表示され、単なる「強心」が「強心剤」を表示したり、「強心作用」を意味して用いられてはいない。すなわち「強心」が強心剤又は強心作用の一般的表示方法であるとすることはできず、しかも本件登録商標においては、漢字「強心」の文字の下段に、ローマ字「Kyoshin」をも有するものであるから、全体的に観察すれば、商標として認識されるものであつて、特別顕著性なしとはいえない。

(三)  更に本件登録商標は、第二四四五七一号として登録されている、被告の周知、著名な登録商標「救心」の連合商標として登録されているものであつて、その称呼は「救心」と酷似し、「強心」といえば直ちに「救心」を想起せしめるという特殊事情を有するものである。このことは商品「強心剤」について、「強心」及び「Kyoshin」の商標を附して販売するときは、取引上「救心」の所有者である被告の取扱にかかる商品であると容易に認識せられることが明白であつて前項(二)に述べたところと相まつて本件登録商標の特別顕著性を認めるに十分である。

(四)  原告は「強心」なるものは、商品「心臓薬」について効能表示として通用語であつて、特別顕著性はないと主張しながら、みずからは「精強心」なる商標及び「精」の文字のみを他の文字より四分の一程度に小形とした「精強心」なる商標の登録を受けている。「精」は「強心」の精製したものに外ならないから、もし原告のいうように「強心」が効能表示であれば、これら商標は当然登録を受け得ないはずのものである。かかる原告の商標が登録されていることの事実は、すくなくとも「強心」なる文字は、「心臓薬」において効能を表示する一般的表示方法でないことを物語るものに外ならない。

更に原告は右登録商標を商品「心臓薬」について実際に使用するにあたり、「精」の字を削除した「強心」の二文字のみを表示して使用している。このことは「強心」という商標が、普通の効能表示とは認識されないことを原告自身認めているものである。しかのみならず原告のこの所為は、被告が永年にわたり宣伝し、日本国内はもとより、東南アジアにおいて周知著名な登録第二四四、五七一号「救心」に、原告が便乗使用せんとする意図を有するものではなからうかとの疑念を抱かざるを得ない。

ここにおいて被告が該周知著名な登録商標「救心」の連合商標として「強心」なる商標の登録を受けたことは、一に「救心」なる著名商標を巧妙な潜称者から防護し、築かれた信用を保護せんとしたものであつて、「強心」及び「Kyoshin」は、発音上「キヨウシン」と称呼され、かつ該呼称は「救心」の「キユウシン」と酷似するから、「キヨウシン」といえば「キユウシン」を取引者或は需要者等に容易に想起せしめ得ることは、「救心」の周知著名の度合からみても明らかなように、本件登録商標は、当然「救心」との関係においても更に特別顕著性が附加されているものであつて、一般取引社会において「強心」及び「Kyoshin」が「心臓薬」の効能表示として用いられているという理論的もしくは事実上の根拠は全く存在しない。

更に附言するならば、被告が「強心」及び「Kyoshin」なる商標を受けた所以は、被告の周知著名な登録商標「救心」と同一又は類似の商品に関する同一又は類似と思料される範囲の商標について数多く登録を受けていなければ、現今の審査、審決又は判例等において具体的に審理されている具体例(例えば「精強心」、「強身」、「盛強心」が他人のため登録された。)からは「救心」なる周知、著名な商標を保護し得ないからである。

第四証拠〈省略〉

理由

一、原告主張の請求原因一及び二の事実は、当事者間に争いがない。

二、右当事者間に争いのない事実及びその成立に争いのない甲第一号証によれば、本件商標は、別紙記載のように、「強心」の漢字を楷書体で左横書にし、その下に「Kyoshin」のローマ字を筆記体で併記して構成されているものであることが認められる。

そこで本件商標が、これに接する人によつてどのように受け取られるかについて考えてみるのに、右商標において下段に記載された「Kyoshin」のローマ字は、漢字の「強心」が有する発音の一場合に該当するものであるから、本件商標は右ローマ字の発音に従い「キヨウシン」と呼ばれるべきはいうをまたないが、右ローマ字の存在は、あたかも漢字に振り仮名を施した場合と同様、それ以上には印象付けられず、人々の注意は、もつぱら漢字「強心」の文字に惹かれ、従つて人々が本件商標から感じ取る意味、いわゆる商標の観念は、該商標が「強心」の漢字だけで構成している場合と格別の相違あるものとは解されない。

そして本件商標の指定商品中「薬剤」について「強心」の文字を使用するときは、人々はこれにより直ちに強心的効果を有する薬剤すなわち「強心剤」を想起するのが極めて自然と解せられるから、逆に商品である薬剤「強心剤」の商標に、「強心」の文字を用いても、それはその薬品が「強心的効果を有する薬剤」であることを示すに止まり、それだけでは人々は果してこの薬剤が何人の製造販売にかゝるものであるかを知ることができず、かゝる商標が旧商標法第一条第二項にいわゆる特別顕著なるものにあたるとは到底解されない。

三、被告は本件商標は、被告の有する周知、著名な登録商標「救心」の連合商標として登録されたもので、その称呼は「救心」に酷似するから、商品強心剤について本件商標を使用するときは、取引上「救心」の商標権者である被告の取扱にかゝる商品であることが容易に認識せられると主張し、被告が、「薬剤、医療補助品及び化学品」を指定商品として「救心」の文字からなる登録第二四四、五七一号商標を有し、該商標が被告会社の製造販売にかかる心臓薬について使用せられ、広く認識せられていることはその成立に争いのない甲第八号証、乙第七号証、乙第百八十九号証によつてこれを認めるに十分であるが、それだからといつて、たとい称呼が酷似するとはいえ、前述のように、商品の作用、効能を表わすものと解せられる本件商標が、直ちに被告の商品であることが認められるものとは到底解されず、またその事実を証明するに足りる証拠はない。

更に被告は、原告が「強心」は商品「心臓薬」についての効能表示を表わすものであると主張しながら、他方みずから「精強心」、「盛強心」なる商標の登録を受け、その他第三者が商標「強身」について登録を受け、被告の周知、著名な登録商標「救心」の有する信用を、便乗使用せんとする意図の疑われる事実を挙げ、被告が本件商標の登録を受けたのは周知著名商標「救心」を巧妙な潜称者から防禦し築かれた信用を保護せんとするものであると主張し、被告が本件商標の登録によつて意図する右の動機については十分理解することができるが、かゝる商標の登録もしくは不法な所為(もしありとすれば)の防止は、商標法の他の条項たとえば第三条、第四条第一項第十一号、第四十六条、第五十一条の規定によるべく、そのゆえに商品の効能、用途を表示したに過ぎない文字から構成された本件商標の登録が旧商標法第一条第二項にかゝわらず許容されるものとは解されない。

四、以上の理由により、審決中指定商品薬剤強心剤に関し、原告の本件商標の登録無効審判の請求を認容しなかつた部分は違法であるからこれを取り消し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八十九条を適用して主文のように判決した。

(裁判官 原増司 山下朝一 多田貞治)

(別紙)〈省略〉

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